築城年代は定かではないが、大永・天正年間(1521年〜1592年)に大台城主井田氏の客将和田五郎左衛門尉胤信によって築かれたと云われる。
天正15年(1587年) には井田因幡守の家臣として同心筆頭に和田左衛門尉の名が残る。
山中城は山中集落にある小山に築かれており、谷を挟んで東(南)にあるのが「山中南城」、西(北)にあるのが「山中北城」で、いずれも和田氏の城とみられている。
山中北城は海蔵寺の南西の小山に築かれており、南端の曲輪には妙見社が祀られている。北側は広い曲輪が東西二段で南曲輪と空堀と土塁で区画する。妙見社の鎮座する南曲輪は背後が幅広の土塁状となり、南に続く尾根に二重の空堀を設けて遮断している。
山中南城は北端に空堀と土塁で区画された曲輪が二郭あり、南東中腹に八幡社が鎮座する。南の尾根付近は複雑な地形で、屈折した空堀が東西に走り尾根を遮断し、北側に虎口なのか開口部分がある。
山中地区の徳蔵寺を目指す。 山中北城は徳蔵寺の南側から妙見社への参道があるのでわかりやすい。山中南城へは南東側の県道側から八幡社への参道があるが、民家脇の細路地で鳥居も建っておらずわかりづらい。これとは別に徳蔵寺前の谷間の道を南へ進み民家が途切れる辺りから西の山に入る道があり、これを進むと南尾根の空堀付近に達する。
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