築城年代は定かではないが千葉氏によって築かれたと云われる。 その後千葉氏の重臣三谷大膳亮胤興の居城となった。 三谷氏(みや)は千葉氏の庶流という。
弘治元年(1555年)に大台城主井田因幡守友胤が坂田城主三谷胤興を討ち、坂田城に居城を移したという。天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐で坂田城も落城したという。
坂田城は坂田池の北にある南に舌状に伸びた台地に築かれている。
主郭は南西端にあり、北と東に空堀を巡らせて切り離し四方に土塁を設けている。 東に開く虎口には土橋が架かり、その北と南に張り出しを設けて横矢を掛けている。 主郭の東にあるのが「見台」と呼ばれる二郭で、北側に空堀と土塁を設けて土橋を架け、ここも横矢掛けになっている。北側にある広い曲輪が三郭で北側に土塁と空堀を設けて土橋を掛け東西両側から横矢を掛ける。その北側に「外城」と呼ばれる外郭があり、北側は二重の空堀になっている。この部分は車道になっていて土塁を貫通し直線になっているが、東側を迂回する構造になっていたようである。
坂田池公園の北側の台地の上が城跡で、東側の県道79号線沿いに台地の上に登る道があり、南端に車を置くスペースがある。また南側の公園部分からも遊歩道がある。
最寄り駅(直線距離)