嘉永3年(1850年)林播磨守忠旭によって築かれた。 林氏は貝淵藩二代藩主であるが、嘉永3年(1850年)に貝淵より真武根に陣屋を移し請西藩となった。
忠旭の家督を継いだ最後の藩主林忠崇は「脱藩大名」、あるいは「最後の大名」として名を残す。家督相続直後の慶応3年(1867年)戊辰戦争が勃発すると、藩主自ら脱藩して遊撃隊に参加、このときかねてよりの打ち合わせにより真武根陣屋には火が放たれた。 各地を転戦した後、徳川家の存続が許されたことで仙台藩を通じて新政府軍に降伏、唐津藩に身柄は預けられた。その後、請西藩は戊辰戦争で唯一の改易となった。
真武根陣屋は真舟の北側の丘陵に築かれている。 現在は道路脇に石碑と案内板が建っているが、この南西側の丘陵には複雑な形状の土塁が今も残っているという。地図を見ているとこの辺りは宅地開発中とありますが、この陣屋跡はどうなるのでしょうか。陣屋跡は余り残っている例がなく貴重なものなので、是非整備して残してもらいたいものです。
この土塁を見てみたかったのですが、入りづらく確認できませんでした。「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書」に掲載されている図面では虎口などがわかりますが、複雑な土塁になっている。