築城年代は定かではないが文明年間(1469年〜1487年)に真里谷信興によって築かれたと云われる。
この城に関する同時代の史料はなく、「笹子落草子」・「中尾落草子」という軍記物に真里谷武田氏の内紛に伴って笹子城の攻防が記されている。
笹子城は東京湾アクアライン高速道と圏央道とのジャンクションの東側にある丘陵に築かれている。
主郭部は空堀を挟んで南北二郭で一部に土塁がある。南曲輪の東下に横堀があり、北曲輪の北側には丸馬出がある。主郭部一帯しか確認していませんが、「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書」に掲載されている図面では南北1000m弱の規模で堀切が八箇所描かれており、かなりの規模であったようだ。また北端部が高速道路建設の際に発掘調査されており、出土陶器からみると十五世紀中葉に築城され十六世紀中葉に廃城となったと見ることができるという。
西側から登ったので入口のみの確認ですが、登り口は城山の東側の笹子地区にあります。笹子区集会所から阿弥陀寺を目指して集落内を走っていくと登り口の案内があります。
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