文政10年(1828年)林忠英によって築かれた。 寛政8年(1796年)家督を継いで三千石の旗本となった忠英は、将軍徳川家斉の寵愛を受け、幕府の要職を歴任して出世、文政8年(1825年)には若年寄となって三千石の加増を受け、一万石となり諸侯に列した。忠英は貝淵陣屋を築いて貝淵藩を立藩した。
忠英はその後も加増を受けて一万八千石まで加増を受けたが、天保12年(1841年)に将軍家斉が没し、徳川家慶が将軍となると、老中水野忠邦による天保の改革によって八千石の没収、さらに若年寄を罷免されて隠居、家督は次男忠旭が継いだ。 嘉永3年(1850年)忠旭は陣屋を請西に移し、貝淵陣屋は廃された。
陣屋跡は現在宅地となっており、土塁の遺構があるともいわれるがよくわからない。