築城年代は定かではないが明応年間(1492年〜1501年)に真里谷信興によって築かれたと云われる。信興が真里谷城の支城として築いたものとされる。
「笹子落草子」・「中尾落草子」という軍記物によれば、天文13年(1544年)以降に武田氏の部将後藤兵庫助が里見義堯に攻められて戦死し、このとき落城したという。
また地元の伝承では築城途中に破棄され、笹子城に移ったと伝えられる。
中尾城は清川中学校の南側にある南北に伸びた低丘陵に築かれている。
主郭は南北に細長い曲輪で中央やや北側に天王社が祀られ、背後には櫓台状の土盛りがある。南北の尾根は深い堀になっておりいずれも切通の道として利用されている。南側の尾根の曲輪はやや広く切岸加工もされているが、西側は自然地形を残している。
東側麓を南北に走る道沿いに「中尾城跡参道入口」の標柱が建っている。
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