築城年代は定かではないが牛尾氏によって築かれたと云われる。 牛尾氏は信濃国の神氏の支流中沢真直が大原郡牛尾荘を領して牛尾氏を名乗った事に始まる。尼子十旗の一つ。
その後、出雲国守護京極氏に従い、戦国時代には尼子氏の重臣となったが、尼子義久が毛利氏に降ると毛利氏に属した。
尼子勝久を大将に尼子再興軍が興ると三笠城主牛尾弾正忠は尼子方として五百騎を率いて参陣する。再興軍は出雲国へ上陸すると破竹の勢いで出雲を制圧するも、富田城を落とす事ができず、急を知って九州より毛利軍の主力が引き返してくると、それを迎え撃つべく布部山に陣を置いたが支えきれずに敗走する。牛尾弾正忠は一旦三笠城へ退き、毛利方に属していた高平城の牛尾大蔵を攻めるも、毛利氏の援軍によって逆に三笠城は落城した。
尼子十旗と呼ばれる月山富田城の10支城のうちの一つ。
城は三笠山に築かれており、三方に伸びる尾根に曲輪が配されている。主郭は山頂で二段の削平地があり、北西側が一段高く、階段状に折れが付いている。主郭には石積が残っているらしいが確認できず。
南西側に伸びる尾根には馬場状の広い削平地があり、途中には大石が壁のように建てられている。その先は細尾根が続き、南へ降る尾根に石積が残っている。
県道24号線から県道53号線に入り海潮中学校を目指す。少し南下して左折し高平城の麓を通る道へ入り、道なりに進むと海潮神社があり、そこを左折して谷沿いの道を北東へ進むと登山口がある。
最寄り駅(直線距離)