築城年代は定かではないが南北朝時代に築かれたと云われる。
由並城が史料に現れるのは建武3年(1336年)で、祝安親が合田弥四郎の籠った由並之城を焼き払ったのが初見とされる。
戦国時代には代々由並氏の居城で天正13年(1585年)豊臣秀吉による四国征伐で小早川隆景によって開城となった。
由並本尊城は上灘川の河口北側にある標高187mの本尊山山頂に築かれている。 本尊山は東の山塊から西へはり出した尾根の先端が小高くなった山で、山頂付近は切り立った崖に囲まれた天然の要害となっている。
由並本尊城は山頂に主郭があるが、山頂の西側は岩山でもともとは天一神社が祀られていた。やや東に下った所に削平地があり、南の側面には石積も確認できる。曲輪は東側が一段高く、その外側が堀切となっている。
山頂から西へ伸びた尾根にも削平地が設けられているが、下の方は畑となって判然としない。
西の麓にある天一神社を目指す。天一神社の脇を降りて線路を渡りそこから山へ通じる道を登ると山頂に達する。
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