築城年代は定かではない。 鎌倉時代の多根兼政または、南北朝時代に益田兼弘によって築かれたと云われる。
多根兼政は益田兼李の子で東山道を領したという。その後、益田兼見の子益田兼弘が領した。
しかし、その後は三隅氏の城となり、三隅氏の家臣須縣忠朝を城主とした。 元亀元年(1570年)忠朝の子忠高が城主の時、毛利・益田両軍の攻撃をうけて落城、忠高は自刃したという。その後は再び益田氏の持城となった。
城はその名が示す通り、四つの峰がほぼ同じ標高に並ぶ山に築かれている。 三隅三城(三隅城・茶臼山城)の一つである。
主郭は定かではないが、一番東の頂と考えられここを一の岳と呼び、そこから西へ向かって二の岳、三の岳、四の岳と呼ばれている。
主郭は一番整備されており、北側に二の丸、三の丸と考えられる削平地を持つ。
二の岳は頂部とその下に一段あり、南側を除いて三方を巡っている。
三の岳は一番手狭で、頂部は岩場となり東下に半円状の削平地があるのみ。
四の岳はやや広く、西端がやや高くなっている。
国道191号線から橋を渡って東仙道小学校を目指す。小学校前を西へ進むと正面にあるのが城山で、左へカーブするあたりに登山道がある。また、北尾根に林道が通っており、小学校の前を東へ進んで最初の交差点を左曲って行けば北尾根の林道終点まで行けそうである。(未確認)
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