築城年代は定かではないが鎌倉時代に丸茂兼忠によって築かれたと云われる。 丸茂氏は益田兼季の四男兼忠が丸茂郷を領して丸茂氏を名乗った事に始まる。
康永2年(1343年)丸茂教元の時、三隅兼連によって攻められ落城したという。
丸茂城は国道191号線の南側にある北へ伸びた山に築かれている。
主郭は山頂にあり南北に長く北がやや高くなってここに石碑が建てられている。主郭から南へ伸びた尾根には三重堀切があり、東西両側ともに竪堀を伴って側面移動も遮断している。北側は放射線状に伸びた畝状竪堀群がありその下部を堀切としている。
曲輪は主郭から北西尾根側に曲輪ii、iiiと段曲輪が続き、西下がやや広く削平されている。またその下部にも帯曲輪状の段曲輪が三段ほどあるが、後世の畑跡のように見える。
主郭から北東へ伸びた尾根には伝二の丸、伝三の丸と以前標柱が建っていた丘陵があるが、この部分は自然の緩斜面地形で城域のようには見えない。この尾根先の下にある一段高くなった民家の部分が「土居」と呼ばれ、井戸がある。同じく西の谷を挟んだ尾根には「馬場」の標柱があるが、これも単に馬場のように平坦で細長い尾根という意味の地名で城の遺構とは関係なさそうである。
駐車場は国道の北にある細い道に面した公民館が利用できる。
土居から登る道があるが民家の敷地を通るため難しい。国道191号線沿いに案内板があり、西の「馬場」を通り、北尾根から三重堀切を越えて主郭に達するのが今の登山ルートとなっているが、入口以外に道標はないので地形を良く確認して歩くと良いだろう。