築城年代は定かではない。大谷盛胤の後裔が籠もっていたとの伝承があるが定かではない。
その後、斎藤伯耆守保家(泰家)の居城となり、正長元年(1428年)には吉見氏家の家臣長野美作守(美濃守)頼久が占領したとも伝えられる。
道川城は大元神社の東、匹見川に合流する支流の北側にある西へ伸びた丘陵に築かれている。
道川城は東背後の尾根を三重堀切で断ちきった単郭の城で、主郭は切岸によって一段高く、西尾根に二・三段の小段を配している。主郭の切岸は良く加工されているが、削平は甘い。
夏場であるが、地元の方が良く整備しており、主郭には道川城の石碑も建てられタイムカプセルが埋められているようである。
県道307号線沿いの橋の所に案内板が設置されている。大元神社から少し東へ行った丘陵の先端部分に階段が付いており、これが山上まで通じている。