築城年代は定かではないが南北朝時代に井村兼雄によって築かれたと云われる。 井村城主二代兼雄が築いて井村城、小石見城とともに城主を兼ねたとされる。
鳥屋尾氏初代が兼武、二代が兼時で、暦応5年(1342年)北朝方の石見守護上野頼兼らによって攻められ、井尻四郎太郎が一時城主となったが、後に三隅氏が奪い返している。
鳥屋尾城は上今明の北方に聳える標高491mの鳥屋尾山山頂に築かれている。
天険の要害を利用した山城で、山頂の主郭は北側に土塁が付くものの、削平状態は良くなく、南に向かって傾斜している。そこから南東の尾根下に降りた所にも曲輪があるが、ここもそれほど削平状態が良くない。
山頂から北東へ伸びた尾根はほとんど自然地形であり、堀切などは全く見あたらず、曲輪と呼べる程の平坦面もない。
登山道は北東尾根から尾根伝いに登る道と南麓の方から登ってくる道があるようだが、南麓側は利用していないので入口はわからない。
北東尾根から登る道は上今明と周布地を結ぶ林道にあり、無線中継施設の入口でもある峠近くに、一軒の民家があるが、その隣にある社と墓地の間の道を山へ入ると山道があり、西へ進めば鳥屋尾城に至る。(地図)
南麓の道は主郭から虎ロープが南へと続いているのだが、上今明からの林道沿いには入口らしきものは見あたらなかったので、築地平の方に出ているのかもしれない。
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