築城年代は定かではないが鎌倉時代に三隅兼盛によって築かれたと云われる。
正長元年(1428年)大賀氏が城主となって以来、三隅氏の海事を担当したという。
弘治3年(1557年)益田藤兼によって攻められ落城した。
城は三隅川の河口にある丘にあり、湊浦港を見下ろす位置にある。
現在は公園となっており展望施設が建てられている。西側の丘は七櫓と呼ばれ、ここも城域であったようであるが、現在は畑となっているようである。
公園部分は数段の削平地がある。日本城郭体系には石垣が残っているとあるが確認できなかった。
針藻島とも呼ばれ、もともとは島であったようである。
城山の東側の道路沿いに石碑と案内板が建つ。そこから北側へ行くと公園への入口がある。
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