築城年代は定かではない。南北朝時代の貞和4年(1348年)に高木城合戦があり、これが千穂山城と推測されている。
戦国時代には小松原氏が城主で、弘治元年(1555年)頃には陶晴賢に属して毛利氏と敵対していたが、吉川元春の軍勢によって攻められ落城したと伝えられる。
千穂山城は瑠璃寺の北西背後に聳える標高596.9mの山に築かれており、現在は稲穂神社の境内となっている。
単郭の城で山頂の主郭から東に三段ほど腰曲輪、西に一段の腰曲輪がある。この東の腰曲輪に稲穂神社が祀られている。最大の特徴は主郭の北西下にある畝状竪堀群で、西の腰曲輪の北側から連続して設けられている。北西尾根は二重堀切によって遮断し、南東尾根にも一条の堀切がある。
瑠璃寺から続く車道を進んで行くと稲穂神社の参道となる。
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