築城年代は定かではない。永禄年間(1558年~1570年)には藤田東馬允の居城であったが、永禄年間(1558年~1570年)あるいは天正年間(1573年~1592年)に織田信長によって滅ぼされたという。
山口城は東南東に細長く伸びた低丘陵に築かれている。
方形単郭の城で四方を土塁が巡り、現状、西、北、北東のみ空堀が巡る。 北東側に虎口があり、西側の土塁は内折れ、外側にはかざし土塁があり、北から虎口が見えないようになっている。
主郭中央付近には五輪塔の残欠と思われる石がいくつか祀られている。
西側の道路沿いに案内板が設置されている。そこから獣避けの柵を開いて道路終点にある工場のところから山に入れば土塁が見える。
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