築城年代は定かではないが南北朝時代に度会家行によって築かれたと云われる。
度会家行は貞和3年・正平2年(1347年)楠木正行の挙兵に応じて山田から人夫を召し上げ兵糧米・具足を用意させて近津長谷城に籠って南朝方の拠点となったという。
近津長谷城は近長谷寺(きんちょうこくじ)背後の標高291mの城山山頂に築かれている。
山頂は南北に長く、中央左に社が祀られていたのか基段が残る。ここは公園として整備されていたのかベンチや柵が設けられているが現在は荒れ果てている。
薮化していない西下は堀切状の窪地で平地を挟んで西側に堀切がある。北へ回り込むと規模の大きい堀切が東西に長く伸び、その北側にも幅の広い堀切になっている。北の曲輪の東側は竪堀があり、その東側・主郭から北東下の曲輪には土塁が残っている。
近長谷寺を目指す。近長谷寺の駐車場から参道を登り、本堂の裏から遊歩道が山頂まで続いている。
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