文正元年(1466年)山名勝豊によって築かれたと云われる。勝豊は山名宗全の三男で山名熙貴の養子となって因幡守護職となった人物とされるが不明な点が多い。
勝豊は二上山城から布勢天神山城を築いて守護所を移したという。以降、代々因幡山名氏の居城として続き、天正元年(1573年)山名豊国が鳥取城へ居城を移すまで続いたという。
布勢天神山城は湖山池の東岸、天神山と呼ばれる小山に築かれている。現在鳥取緑風高校の敷地になっているが、城跡へは遊歩道が設けられており散策することができる。
山上には井戸があり、櫓台のような土盛りと堀切などもある。かつてはこの山を囲む内堀と外堀があり、外堀は総延長2.6kmに及ぶものであった。