築城年代は定かではない。永禄年間(1558年〜1570年)に徳吉将監の居城であった。
天正9年(1581年)吉川経家が鳥取城に迎えられたとき、徳吉城にしばらく逗留したのちに鳥取城に入ったという。羽柴秀吉の鳥取城攻めのとき、徳吉将監は城を棄てて鳥取城に籠城した。鳥取城が落城した後は邑美郡古市に移り野に下ったという。
『日本城郭大系』によれば徳吉城は平城で、現在は水田となって「城土居」などの地名を残すのみとなっているが、『鳥取県中世城館分布調査報告書』では大野見宿禰命神社の小山の地形を描き、現在は民家と記している。
大野見宿禰命神社の境内となっている小山には神社境内となっている周辺に削平地があるものの、切岸にはなっておらず、城郭遺構との確証はなかった。
山名氏の天神山城を描いた布施城絵図に徳吉城が描かれている。