築城年代は定かではないが南北朝時代の文和年間に山名氏によって築かれたと云われる。
二上山城は山名氏の因幡における拠点として使用され、守護所が置かれたが、但馬よりの地にあることなどから、文正元年(1466年)山名勝豊は布施天神山城へ拠点を移した。
山名勝豊が居城を移したのち治安が悪化したことから、領民が相談し但馬山名より三上兵庫頭を二上山城主として迎えた。しかし、二上山城は山高く不便であったので番兵を置いて、三上兵庫頭は道竹城を築きここを居城とした。
二上山城は標高333mの二上山山頂に築かれている。 主郭は山頂にあり「一の平」と呼ばれ、北東下に「二の平」と呼ばれる二郭、さらに北東下へと城域は広がる。
標高も高く南北朝時代の築城という割に、主郭と二郭は広大な曲輪である。 主郭は一段下がって周囲をほぼ一周する帯曲輪があり、北東尾根から続く登山道も、北側を回りこんで南側から山頂にあがるようになっている。
主郭から南へ続く尾根は、最初の案内板のある登山口からの道が到達するところで、高低差のある尾根坂は途中一段の小段があり、尾根には浅い堀切が一条残っている。 北西に続く尾根には三条の堀切があり、一番上の堀切は規模の大きな竪堀と連動して防御している。
主郭の北東下にある二郭(二の平)は100m以上ある広大な曲輪で、主郭と付け根の南側に連続竪堀がある。二郭の北東端は一段小高く土塁があり、その下に二条の堀切が残る。
二郭から遊歩道は特設の木組みの階段を登るようになっているが、尾根には階段状に段があり、浅い堀切もいくつか残っている。先端の標高200mの頂部からは四方の尾根に遺構が残っているようであるが、あまり明瞭なものではなく、東側は展望台のところが砦跡と説明されているが、遺構は確認できない。
東麓を通る県道37号線から岩美広域農道が城山をトンネルして福部町へと続いている。この道の途中に高野坂古墳公園と第一駐車場があり、ここに案内板が設置されている。ここからの道は二上山の南の谷間を登って南尾根から山頂に至るルートで、城域をほとんど通らない。したがってもう少し上にある第二駐車場から展望デッキを経て北東尾根に登るルートで登った。よく整備された遊歩道で景色も抜群である。
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