建武年間(1334年〜1338年)頃の築城と言われるが定かではない。
永録年間(1558年〜1570年)山中鹿之助が山名豊国を助けて桐山城から甑山城に移った。
元亀3年(1572年)鳥取城の武田高信が数百騎の軍勢を率いて攻撃したが撃退された。これを「鳥取城のタノモ崩れ」という。 天正元年(1573年)山中鹿之助が因幡を退去すると廃城となった。
甑山城は袋川に面し南へ張り出した丘陵の先端頂部に築かれている。
甑山城には現在展望台が設置されており、多少の改変がなされていると思われるが、城跡らしき遺構はほとんどなく、わずかに溝や帯曲輪程度の削平が確認できる程度である。北へ続く尾根にわずかに堀切跡とも見える切り込みもあるが、これも明瞭ではない。
因幡万葉歴史館の東側の川向かいにある山が城山で、県道の橋の袂に案内板が設置されている。登山道は橋の東詰を県道31号線に沿って北へ200m程行くと東側に小さな住宅地がある。この裏側にある墓地の駐車場に車を置き、自然歩道で尾根上から山頂に遊歩道が付いている。(地図)
最寄り駅(直線距離)