弘治3年(1557年)頃に神代勝利によって築かれたと云われる。
弘治3年(1557年)金敷峠の合戦で勝利した神代氏が築いた新城が熊の川城で、一時期神代氏の本城となった。永禄4年(1561年)に河上合戦で龍造寺に敗れた神代氏はこの熊の川城へ敗走したと云われ、その後、龍造寺氏との和睦がなり、勝利は家督を長良へ譲り畑瀬城へ隠棲した。
熊の川城は嘉瀬川南岸に聳える標高346mの城山山頂に築かれている。
山頂にある主郭から東と南西に伸びる尾根に段々と曲輪がある。主郭の南側には畝状竪堀のような竪の溝があるが明瞭ではない。南西に伸びる尾根の途中、西斜面に畝状竪堀群があり、ここは長く明瞭な竪堀が残っている。