築城年代は定かではないが弘治3年(1557年)頃に神代勝利によって築かれたと云われる。
弘治3年(1557年)神代氏と龍造寺氏による金敷峠合戦(現在の名尾峠)で神代氏が布陣したのがこの金敷城山城と考えられている。この戦いで神代勝利は龍造寺軍の小河信安を討ち取った。
金敷城山城は名尾峠の西に聳える標高425.5mの金敷城山山頂に築かれている。
主郭と思われる最高所には江戸時代に建立された小河信安らの供養塔がある。城郭遺構は乏しく、主郭付近に小さな平段、南方に伸びる尾根に堀切が一条ある。
名尾峠付近から山頂の近くを通って続く林道がある。林道入口は封鎖されていて一般車両は通ることができない。林道は山頂の側面を抜けているので、最後は尾根上に登って山道を歩く。
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