詳細不明。美濃出身の佐竹家臣川井忠連が城主ともいう。
利員城(年数城)という名称は応永30年頃に足利持氏が白川氏朝や小峰親朝に命じて攻めさせた山入氏方の城として出てくるが、この城とは別城なのだろうか。
利員竜貝城は天満神社の北東背後の山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
主郭は山頂にあり、北へ続く尾根に二重堀切、さらに少し離れた位置にもう一条堀切を設けている。東下には帯曲輪があるが、堀切に近いところに竪堀を入れてある。
主郭西下には南北に竪堀状の窪みがあり、もともと堀切があったのだろうか。西へ段々と続くが、南側面には虎口らしき開口部もある。
主郭のある峰の一つ東側に登山道がついているが、この峰も主郭に近いところは削平してある。もともと神社があったのか基壇がある。このあたりも城域の可能性があるが、先端はそのまま自然地形、畑跡のようになっており明確ではない。大手は天満宮脇の谷筋を登っていたのだろうか。
南麓の道「グリーンふるさとライン」沿いにあるため池のところに案内板が設置されており駐車可能である。登口は天満宮の参道脇にある。
最寄り駅(直線距離)