南北朝時代に北朝方の高師冬が南朝方の小田氏を攻めるために布陣したという。
宝篋山城は標高460.7mの宝篋山(小田山)に築かれている。ハイキングコースとしてよく知られた山で多くの登山客で賑わう山のようである。
山頂周辺は改変を受けているが、宝篋山城は山頂と南峰にある三条の堀切が主体で、いわゆる曲輪となるような平坦面はほとんど設けられていなかったと思われる。
現地では南峰を宝篋山城としておりそこに看板がある。南に下ると湾曲した巨大な堀切がある。
山頂には巨大な宝篋印塔があり、周辺には平場もあるが城郭遺構には見えない。北の堀切北東にくだったところと北西に降ったところの2か所あり、南堀切に比べると小さいがそれでも大きな堀切である。
堀切の規模は大きいが、それを守備するような曲輪などの造成はまったく見られず、南北朝時代に築かれた遺構がそのまま残っている城と思われる。
南麓、宝篋山小田休憩所近くに駐車場がある。極楽寺コースで登り、小田城コースで下山した。