元禄14年(1701年)佐倉藩稲葉正往によって設けられた。
元禄14年(1701年)老中となった稲葉正往は高田から佐倉十二万石に加増転封となった。このとき越後三島郡内の所領を管理するために設けられたのが脇野町出張陣屋であった。
享保8年(1723年)稲葉正知のときに淀へ転封となったが越後領は維持され、延享元年(1744年)には蒲原郡内で七千石を加増された。
天明6年(1786年)稲葉正諶のとき所替により越後領は幕府直轄領となり、稲葉氏の脇野陣屋は廃止、かわりに幕府領を管理する代官所となった。
脇野町出張陣屋は浄福寺のあたりに築かれていた。
遺構はないが、浄福寺の墓地の脇に陣屋の標柱がたっている。