築城年代は定かではないが毛利氏によって築かれた。
大江広元を祖とし相模国毛利庄を本貫とする毛利経光が地頭職としてこの地へ住んだのが南条毛利館の始まりとされる。毛利一族は宝治元年(1247年)の宝治合戦によって一族の大半が討死するなど不遇であったが、越後の毛利経光は命脈を保ち、その子孫は南条氏、後に北条城に移って北条(きたじょう)氏、さらに分家として安田城安田氏などを輩出している。
また、毛利経光の四男時親が安芸国吉田庄の地頭職となって安芸の吉田へ下り、戦国時代には毛利元就を輩出して大名となり、毛利輝元のときに長門国萩藩となって江戸時代まで続いている。
南条毛利館は比高10m程の微高地に築かれていた。
佐橋神社のある広い丘陵が館跡で明瞭な遺構はないが、毛利氏供養塔などが建立されている。