築城年代は定かではない。発掘調査によって鎌倉時代末期から室町時代前期までの遺物が確認されている。室町時代後期には上杉謙信の重臣として知られる柿崎和泉守景家の居館であったと考えられ、猿毛城が詰城であったと云われる。
柿崎城は柿崎川下流の木崎山と呼ばれる微丘陵に築かれていた。 道路建設によって消滅した城館は数知れず、豊前寒竹城のようにパーキングエリアになった山城も存在するが、ここは柿崎icに取り込まれてしまった珍しい城館である。
柿崎城の中心部である木崎山山頂は開発からは逃れて現存しており、展望デッキなどが設けられているのだが、城郭遺構と呼べるようなものは皆無で、単なる丘陵のようにしか見えない。この中心部は発掘調査がなされていないようである。
柿崎氏の菩提寺は柿崎区芋島の楞厳寺(地図)で、ここには柿崎景家の墓があり、山門は柿崎城の搦手門を移築したものだと伝えられる。
搦手門(移築 城門)
国道8号線に合流する柿崎ic出口付近に公園の案内板があり、そこから中に入ることができる。この付近には駐車出来ないので、どこか別の所に駐めてくる必要がある。
最寄り駅(直線距離)