築城年代は定かではないが南北朝時代に築かれていたと云われる。
文和4年・正平10年(1355年)上杉憲顕の子、上杉憲将は宇佐美一族と顕法寺城で挙兵したが、足利尊氏方の風間長頼に攻められ顕法寺城を捨てて六角峰(六角城)、さらに柿崎城へと逃れたが、間もなくこれも落とされた。
その後の動向は定かではないが、戦国時代には井崎次郎左衛門(井沢とも)、丸田左京が在城したという。
顕法寺城は顕法寺集落の南西にある標高182.3mの山頂に築かれている。
主郭は山頂にあって一際高く切岸によって防御している。主郭から北西、南西、南東に伸びる尾根は堀切を設けて遮断している。主郭の東下から北側にかけて広い削平地があり、一部土塁が残る。北へ伸びる尾根を北上するといくつかの堀切を越えて尾根先の鼻館に至る。ここから東へ伸びた尾根に顕法寺と諏訪神社がある。
県道61号線沿いにある三ケ字公民館の所に案内板が設置されており、これに遊歩道の地図が載っている。その地図に従って進むとやがて未舗装道路になるが、この辺りに車を駐めるスペースがあり、そこから遊歩道を歩いて登る。道標はしっかりしているので迷わず行ける。
最寄り駅(直線距離)