南北朝時代に南朝方の風間信濃守信昭によって築かれたのが始まりとも云われるが定かではない。
直峰城は上杉氏の番城で、吉田英忠、竹俣清綱、長尾伊賀守などが番将を勤めた。 天正6年(1578年)御館の乱が勃発した時には三郎景虎方の吉益伯耆守が守っていたが、上杉景勝に攻められ落城した。
その後は樋口惣右衛門が在城したが、慶長3年(1598年)上杉景勝が会津に転封となると、代わって福島城に入封した堀秀治の一族堀光親が城主となった。しかし、慶長15年(1610年)堀忠俊の時に改易となり直峰城も廃城となった。
直峰城は小黒川、細野川に挟まれた標高344.0mの城山山頂に築かれており、南の山腹には旧三国街道が通っている。
山頂の本丸から四方に伸びた尾根に曲輪や堀切を設けている。ほぼ一周するように設けられた遊歩道沿いに伝○○邸跡と人物名が書かれた標柱が建ち広大な曲輪が続いている。城山はとてもきれいに整備されており北尾根あたりから見た本丸はなかなか壮大である。
直峰城と伝えられる風間信照の菩提寺が安塚幼稚園の近くにある賞泉寺である。
安塚小学校、添景寺辺りを目指す。南の中腹を通る国道403号線沿いに道標があり、中腹の駐車場まで車で登ることができる。この駐車場のトイレに縄張図入りのパンフレットがありました。
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