保元2年(1157年)越中次郎兵衛盛次が平清盛の名によって香春岳城の山腹に鬼岳城を築いたとされるが定かではない。
慶長6年(1601年)関ヶ原合戦後に豊前に入封した細川忠興の末弟細川中務少輔孝之が二万五千石を領して本城としたのが、この鬼ヶ城こと香春城であった。
香春城は元和の一国一城令によって破却された。
鬼ヶ城は香春岳一ノ岳の東の中腹、標高170mから140m付近にかけて築かれている。
鬼ヶ城は天主台と呼ばれる櫓台、一ノ丸、二ノ丸、三ノ丸で構成されている。 天主台は北側の山腹にあり山から突き出すような岩の上に設けられている。そこから50m程南にあるのが一ノ丸で城内では一番の広さを持つ。この曲輪には石や瓦片が散乱している。南側は土塁として削り残しがあり、通路らしきものが二ノ丸へ続く。
一ノ丸の東下にあるのが二ノ丸であるがここはそれほど広くなく、南側に空堀状に凹んでいるのが一ノ丸に至る通路のようである。この二ノ丸の切岸には石垣があったようで、北東隅の下部の石垣が残っている。
二ノ丸の東下にあるのが三ノ丸で南東隅に虎口があり、虎口の正面に土塁を設けている。
国道322号線沿いにある香春中学校を目指す。中学校の西側の道路の反対側に須佐神社があり、ここに案内板が設置され境内から城跡に通じる道が整備されている。
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