詳細不明。城主は今田右衛門尉と伝えられる。
長野城は砂川とその支流に囲まれた標高148mの山頂に築かれている。
主郭は南西の山頂部にあり、北端部に小さなコブ状の土塁と南西側に低い土塁が付く。 主郭の西、南西、東下にそれぞれ小段が付いており、南西側は三角形に近いやや大きめの段が二段付いている。また、西下と南西下の段の側面には石積を確認することができる。
主郭から北東へ伸びた尾根は馬の背状の細い曲輪を経て北端に櫓台を備える曲輪に至る。この櫓台の一部に石垣の角石のような石積が露出している。ここを起点として曲輪は東と北へ分かれる。
北下の曲輪は城内でもっとも広く南北に長い曲輪で周囲を土塁が巡る。中央の東側に虎口があり、外側に通路が残る。北尾根は幅広の二重堀切によって遮断している。
東尾根は土橋のような土塁のようなはっきりしない地形があり、その先に土塁の付く曲輪が二郭ある。西の曲輪は北から東を土塁が巡り、東の曲輪は三方に土塁が付く。いずれも土塁は高く、東西を区画する土塁は肉厚である。東の曲輪は南側に虎口があり、その下方に石積が残る。東の尾根も北尾根同様二重堀切によって遮断している。
城山の東の山腹は上の方まで果樹園となっており、農道が付いている。集落内の道が狭そうであった為、県道脇の空き地に車を駐めて登っていくと車道から見ても堀切らしき地形が確認できる。
最寄り駅(直線距離)