築城年代は定かではない。城主は虫明氏で宇喜多氏に従った虫明平次の名が知られる。
西辛川城は大平山から南東へ派生した尾根の先端標高98.2mの山頂に築かれている。
西辛川城は単郭の城で、周囲に概ね低い土塁が巡っており、横矢掛けの折れがいくつも確認できる。西は自然地形で急峻であるが、東と南はなだらかな緩斜面地形となっている。この東面、南面は緩斜面ながら切岸も低く遮断性は強くない、しかし、土塁から約25m前後離れた地点に横堀(堀2と堀3)をそれぞれ設けており、これが防御線となっている。
虎口は東(虎口1)と北(虎口2)があり、南東の虎口3も虎口であったかもしれない。 虎口1は内折れの土塁となる。虎口2は土塁の付いた小郭が横矢掛けとなっており、現状ではaとcの部分が開口しており、dからaまたはcを経て出るルートが想定される。bの部分が開口していると外枡形のようになるが、現状では閉じているように見える。
北尾根は土橋の架かる大堀切(堀1)で遮断しており、一つ北の峰には堀状の凹みがあるが、これは円墳の周濠のようである。
北尾根は大堀切(堀1)で遮断しており土橋が架かる。西辛川集落の北背後にある山陽道の近くに桃太郎が描かれた水道タンクが見える。その背後の山が城山で、水道施設前の道がそのまま山陽道を高架橋で越え、山の東山腹に続いている。(地図)
最寄り駅(直線距離)