築城年代は定かでない。浦上氏の家臣明石源三郎が麦飯山城となり天正4年(1576年)に毛利軍と戦って敗れたと伝えられるが、天正4年(1576年)時点では毛利と宇喜多は同盟関係であった。
天正9年(1581年)毛利軍は八浜城の宇喜多軍と戦うため麦飯山城を中心に布陣、八浜合戦となった。
麦飯山城は標高232.3mの峰に築かれた西城と東の峰に築かれた東城がある。地元では西城を横田山城、東城を麦飯山城と呼ぶようである。
麦飯山城(西城)は山部に東西に長い主郭があり、北西尾根を二重堀切1、東尾根を二重堀切2で遮断する。東端部には土塁があり、南側に虎口とも考えられる地形があるが、導線は不明である。
主郭は三角点付近を除いて藪化しており、周囲の遺構はあまりはっきり掴めないが切岸は低い。
北西麓にある横田公園に無料駐車場があり、そのグラウンドの奥に案内板が設置されている。
登山道はこの公園から山腹を南へ移動し、南西側から登るルートが設定されているのだが、現在登山道入口の道標は消滅しており、入口はとにかくわからづらい。このルートは途中鉄塔に達し、そこから主郭まで一直線に登るルートである。鉄塔へは別ルートで登る道が設定されているので、そのルートをたどる方が良い。
また、下山に利用したルートは西城と東城の間にある鞍部から北へ降りるルートで、このルートは北山腹にある果樹園に出る。
最寄り駅(直線距離)