詳細不明。日本城郭体系には独立した項がないが国留城122で「渡辺氏が国留城とともに矢野城を築いたといわれる」と記されている。また日掛城の案内板には矢野城主は小川主膳と記されている。
『広島県史 中世』では、足利尊氏から矢野荘を与えられた長信吉が、はじめ矢野村高鉢山城に、のちに上下の翁山を居城としたとしている。
高鉢山城は女鹿山と大仙山(神山)との間にある高鉢山に築かれている。 城山の南、女鹿山の北西の尾根上には矢野と世羅郡甲山町青近とを結ぶ山道が通っている。
山頂の主郭Iから南へ伸びた尾根に曲輪III、IV、東尾根に曲輪Vを配置する。南尾根に続く曲輪は西側に、東尾根の曲輪は北側に土塁スロープがあり、それぞれ外側を意識して通路を兼ねた土塁が残されている。
曲輪の周囲は高い切岸が巡り、その下方に堀を配置する。北西背後は三重堀切1、東尾根先端は五重堀切3、北尾根は堀切4、そして南側は放射線状の畝状竪堀群2を設けている。北側面にも堀切の間に畝状竪堀群5を設けているが、比較的急峻な北東側面、南西側面には確認できない。
東麓の車道から南の農道への入口に「高鉢山へ」の道標が出ている。登口は林道奥にある「高鉢山」の登口から入る方法と鉄塔巡視路から入る方法がある。
「高鉢山」から入ると緩やかな谷筋になっているので、谷筋を登れば三重堀切に至る。鉄塔巡視路を登って鉄塔の裏側に入ると五重堀切に至る。
車は農道入口から北側に進んだ所にある広い余白に駐められる。
最寄り駅(直線距離)