詳細不明。『芸藩通志』には「福山 石原、西入君二村の界にあり、文禄中、高尾越中所守、」とある。
本亀城の案内板によれば、本亀城主岸本兵庫、福山城主高尾(甲尾)越中、能山城主尾崎九兵衛はともに三吉家臣で北方への備えとして配置されたようである。
福山城は西入君の比高70m程の山に築かれている。谷を挟んだ北東の山には本亀城があり、ともに規模の大きな城で遺構も優れている。
福山城はほぼ同じ高さの山上に東西に堀切で区画された3つの曲輪を並べており、西から主郭(i)、曲輪ii、曲輪iiiで主郭の北側に小さな曲輪ivがある。全体的に切岸が高く明瞭で、北側に多く土塁が付いている。
主郭は虎口が明瞭で技巧的である。曲輪i.1には東西二ヶ所の虎口があり、虎口1は土塁のようなスロープを経て曲輪i.4に下る。i.4はi.5との間に虎口3があり、これを下るとi.7、i.6でこの間が大手と考えられる虎口4である。西の虎口2を下るとi.2、i.3であるが、この曲輪はi.5の土塁と武者走りでつながっており、i.5は虎口3から隠れるように仕切り土塁が付いている。
主郭の東にあるのが曲輪iiである。曲輪iiは主郭側に堀切4、曲輪iii側に二重堀切3があり、その間に東西に長く伸びた曲輪で北側を土塁が囲み一段低くii.2がある。西端の堀切4に対して土塁があるが、土塁の外側に一段テラスが設けてあるが用途はわからない。北側には深い竪堀状の溝が二条落ちているが、構成の改変と思われる。また南東側にも竪堀状の溝が何本か存在しているが、崩落などもあり判然としない。
東端にあるのが曲輪iiiで、北側に土塁があり、南と北で上下二段に分かれているが、削平状態は他の曲輪とくらべて甘く傾斜している。北端部からは2つの尾根が続いているが、切岸は低く、堀切も見当たらない。東尾根には浅い堀切1(二重か?)と堀切2がある。堀切2は中央を土橋として残し、両サイドに二条の竪堀を落とす珍しい形の堀である。
各曲輪を区画する堀切3、4、5、6は規模の大きな堀切であるが、それ以外にも小さな尾根を遮断している堀切らしい地形が散見できる。ただ城跡の周囲を回るような山道や用水路の改変などと重複し、遺構かどうかはっきりしない。しかし、山道の下側にも畝状竪堀群7があるので、山道と重複している部分も十分遺構の可能性がある。
南の道路から山に通じる道がある。
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