備中 竹野城びっちゅう たけのじょう
△トップに戻る
築城年代は定かでない。
備中兵乱のときには楪城の支城として三村家親の子三村元威が在城していたが、毛利の大軍によって攻められ落城したという。
竹野城は新見公立大学の北側にある茶臼山に築かれている。
山頂部を主郭として南に続く山腹に曲輪群を配している。曲輪の規模は大きいが切岸は甘く緩やかである。主郭の北側には小規模な堀切があり、さらに北の曲輪群が続いているが、作業用林道がつけられていて改変が多い。
北側の牧場跡の脇から作業林道経由でアクセスできる。