詳細不明。寿永2年(1183年)の源平水島合戦のとき平家方の陣地があったという。
『備中村鑑』には「森本松山城 柏島 藤井六郎忠広」とある。『古戦場備中府志』では南北朝時代に藤田小次郎、応仁年間(1467年~1469年)に赤澤修理亮が居たとする。
森本松山城は玉島大橋西詰めのところにあり、現在城跡は道路によって南北に分断されている。
もともと畑として開墾されていたようで、現在も小屋の一部が残っている。遺構の状態も悪く、淵にはところどころ土塁状の高まりが確認できるが、土塁なのかよくわからない。
東麓の「玉島みなと公園」に駐車可能。橋の下にある「源平水島合戦 古戦場跡」の看板に従って階段を登ればいける。
最寄り駅(直線距離)