『芸藩通志』には「年村城 小坂山 並に下殿河内村にあり、年村は那須枝高、高城より移り居、後又戸河内村に移りしと云、小坂は小坂参河、同宮内、同越中相続で居守せしと云ふ、」とあり、那須枝高(到高か)が高城より移ったとする。
年村城は太田川が大きく蛇行して流れる地点に半島状に突き出した丘陵に築かれている。
標高319.1mの三角点のある南東端の峰が主郭となる。熊笹が生い茂っており三角点は見つけられなかったが、主郭I1は削平が甘く傾斜するが、切岸はしっかり築かれている。北西に堀切1を設け、その外側に小規模な曲輪I2を設けさらに下に浅い堀切状地形2を設けている。『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』にはI1から東へ伸びる尾根に二段の曲輪を描いているが、確認するのを忘れていたので未調査である。
主郭の北西にある峰にも小規模な曲輪IIがあり、北側に浅い堀切3を設けている。
北西の鞍部、昔の峠道があったと思われる鞍部から登ると神社があり、その背後から尾根伝いにアクセスした。