『芸藩通志』には「年村城 小坂山 並に下殿河内村にあり、年村は那須枝高、高城より移り居、後又戸河内村に移りしと云、小坂は小坂参河、同宮内、同越中相続で居守せしと云ふ、」とあり、小坂氏の居城とされる。
小坂氏は栗栖氏の一族で親高を祖とするという。小坂氏は詳らかではないが、厳島神主家が滅亡して大内氏が安芸の諸城に大内家臣を配したとき、大内氏が山県郡の大田城には島田中務丞、伴田中兵衛丞、小坂三河守を配置した。この小坂三河守が栗栖氏一族の小坂氏であった。
小坂城は教念寺の西側にある独立小丘陵に築かれている。『日本城郭大系』には「おざか」とルビが振られているが、『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』では「こさか」とする。現地の方は「こさか」と呼んでいる。
北端最高所が主郭で小さな社と墓地になっている。堀はないが全周高い切岸になっており南の曲輪との高低差も高い。
主郭の南下に広い曲輪があり、さらに下方にも二段の平場があるがこのあたりは畑になっていたのか後世の石垣もある。
昭和63年の豪雨災害の対策としてこの山の東側が削り取られたようである。
南麓には豪雨災害の伝承碑があるが、その隣の墓地に小坂氏の末裔の方たちの墓と思われる墓所がある。墓碑を読ませていただくと「先祖 親高 小坂伯耆守、小坂遠江守、小坂三河守、小坂隠岐守、小坂越中守」と刻まれている。
北東側にコンクリート舗装された細い山道があり主郭まで通じている。麓の方の平場は東側から道が付いている。