築城年代は定かではない。 家督相続を巡って沼田小早川氏と竹原小早川氏が争った寛正年間(1460年〜1466年)に高崎城は落城しており、細川勝元から毛利治部少輔煕元に感状が与えられている。
天文年間(1532年〜1555年)の城主は小早川氏の家臣天野弾正と伝えられる。
高崎城は高宮八幡宮の東隣にある高崎城会館付近に築かれていた。 遺構は消滅しているが、高崎城会館前に石碑と案内板、隣の高宮八幡宮にも石碑が建っている。
高崎城会館(公民館)を建設するにあたって発掘調査が行われ、掘立柱建物跡、土塁、井戸が検出され、土師質皿、土鍋、すり鉢、瀬戸焼おろし皿、中国製青磁碗、青銅製こうがいなどが出土したという。