築城年代は定かではない。
南北朝時代の康永元年・興国3年(1342年)茶臼山城に籠もった南朝方を北朝方の小早川氏らの軍勢が攻め、大手木戸での激戦の末に落城したことが伝わっている。
この茶臼山城にはこの小早川家の庶流が在城し生口氏を称して代々続き、最後の城主は生口孫三郎景守という。
茶臼山城は標高190m程の山に築かれている。かつては公園として整備されていたようであるが、現在はあまり利用されておらず、朽ちた看板などが落ちている。
主郭は山頂にあり北一段、南に二段の曲輪が付いている。北下の曲輪には石組み井戸が残されている。
南背後の鞍部まで車道が付いており、鞍部からは組木された遊歩道が主郭まで通じている。車道は狭く荒れているので車はお勧めしない。
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