天智天皇10年(671年)越智氏によって築かれたと云われ、最古の水軍城とされる。
中世には村上水軍の水軍城として来島村上氏の部将村上吉継などが居た。
慶長5年(1600年)今治に入封した藤堂高虎は弟の藤堂大輔を城主として城を改修、その死後は菅宇兵衛、桧垣五郎などが在城したという。慶長13年(1608年)藤堂高虎の伊勢国安濃津への転封により廃城となった。
甘崎城は大三島の沖合200m程に浮かぶ古城島と呼ばれる小島に築かれていた。
甘崎城は今現在も離島であるが、大潮のときは陸続きとなり歩いて渡ることができる。三つの小島が連なっているが、遺構があるのは一番南の大きな島で、島の上には大きく三段になった曲輪がある。中央部が一段低く、北の曲輪は南西隅がスロープになって虎口となる。周囲は切り立った岩肌で険しく、現在は南西隅から小道がありよじ登ることができる。
甘崎城は総石垣であったとされるが、後世に石が転用されたため現在残っているのは南の石垣と西と東の列石の部分である。。南の石垣は四段ほどが残り南隅は算木積みになっている。 西の列石は大きくコの字、さらに北東側へ二列の列石が続いている。 東の列石も大手とされる辺りがやや島に近くなり、南北に伸びている。
水軍城であることから周囲の岩礁には柱穴(ピット)が多く残されている。特に東側は大小、円形や方形など無数の穴がある。
国道317号線沿いに道標がある。一応小さいながら古城島に面した土手に駐車スペースがある。
甘崎城に渡海する機会は大潮のときなので潮見表を確認して干潮時に訪れたい。参考に来島の情報で潮位が15cmの日に訪れ無事渡ることができた。干潮時刻は来島よりやや遅く、潮が引き始めて満ち始めるまで約1時間の滞在であった。