築城年代は定かではないが嘉応2年(1170年)頃に紀氏によって築かれたと云われる。
木浦城の紀氏は承久の乱で河野氏と供に後鳥羽上皇方として戦ったが敗れ、木浦城も鎌倉方の攻撃によって落城し滅亡したという。
木浦城は伯方港に面した標高90m程の山に築かれていた。現在は伯方ふるさと歴史公園として模擬天守が建っている。
城郭大系の図面によれば、山の尾根伝いに数段の曲輪を配し、南西と北東端にそれぞれ堀切を設けた連郭式の山城であったようである。現状では曲輪部分は駐車場や模擬天守があり、背後には発掘された古墳などが展示され、曲輪の形状はわからなくなっている。車道などもあるため定かではないが両端の堀切は探せば残っているかもしれない。
模擬天守の中は出土遺物などの展示がある。
模擬天守(模擬 天守)
城門(模擬 天守)
山上まで車道があり駐車場がある。