伊予 能島城いよ のしまじょう

城郭放浪記


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伊予 能島城の写真
掲載写真数
形態
水軍城(31m/31m)
別 名
なし
文化財指定
国指定史跡
遺 構
郭,ピット
城 主
村上氏
歴 史

応永26年(1419年)村上山城守雅房によって築かれたと云われる。 三島村上水軍の一つ能島村上氏の拠点の一つとして築かれた。

天文24年(1555年)陶晴賢と毛利元就が戦った厳島合戦で、能島村上氏は毛利方につき勝利に貢献した。フロイスの『日本史』では日本最大の海賊と称されるほどの勢力を持っていたが、豊臣秀吉による四国征伐ではこれに従わず、小早川隆景の攻撃を受けて降伏、安芸国鎮海山城主となった。

慶長5年(1600年)関ヶ原合戦で村上武吉の嫡男元吉は加藤嘉明の居城である伊予国松前城を攻めたが、三津刈屋口の戦いで敗れて討死した。その後、村上氏は毛利氏に従い防長二カ国へ移っている。

説 明

能島城は大島と鵜島との間に浮かぶ周囲約1km程の能島とその南にある鯛崎島で構成される。

能島は逆三角形の形をした島で、その中心となる高台に本丸、それを取り囲むように二の丸、西の先端部に三の丸、南の南端部に東南出丸、東の先端部に矢櫃と呼ばれる曲輪があり、南の鯛崎島も鯛崎出丸となっている。 能島の周辺は潮の流れが速く複雑で自然の要害となっている。

最大の見所は水軍城として活用された証拠でもあるピット(柱穴)跡で、これを見るためには干潮時に訪れなければならない。比較的簡単に確認できるのは北側に船溜まりの東側にあるピット跡で、丸や三角の穴が岩に刻まれている。現在船が着岸する所から南へ歩いた所には最大の穴と思われるピット跡がある。

案 内

村上水軍博物館は能島村上氏関連の展示がある。

能島へは定期便がないため、基本的に渡海できる機会は年に一度四月上旬にある花見のときである。日付は決まっていないようなので、このシーズンになると調べていくのがよいだろう。

所在地/地図
愛媛県今治市宮窪町(能島)
付近の城(直線距離)
1.4km 伊予 幸賀屋敷
1.5km 伊予 見近城
3.9km 伊予 権現山城
3.9km 伊予 獅子ヶ城
4.0km 伊予 伯方城
4.1km 伊予 亀田城
4.3km 伊予 原城
4.6km 伊予 月頂山城
4.6km 伊予 サイコ城
4.6km 伊予 木浦城
5.6km 伊予 八幡山城
6.0km 伊予 土居屋形
6.2km 伊予 金ヶ崎城
7.2km 伊予 甘崎城
7.5km 伊予 下田水城
7.9km 伊予 脇城
8.1km 伊予 城山
8.2km 伊予 加茂城
8.5km 伊予 姫内城
8.8km 伊予 押上ノ城
9.4km 伊予 岩城新城
9.4km 伊予 立山城
9.4km 伊予 宝蔵寺山城
9.5km 伊予 西部城
最終訪問日
2014年4月
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