『芸藩通志』では「長者宅址 三所 一は御薗宇村にあり、傍に鉄炮田射撃場、矢倉町などよぶ地あり、一は奥屋村にあり、山を長者山と呼ぶ、一は土與丸村にあり、牛満長者屋敷、或いは城が土居とも呼べり、」とあり、奥屋村にあるものが本城に該当する。
長者屋敷は志和町、瀬野町、狩留家町の境、標高605mの山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
長者屋敷という名称であるが、中世の山城であり、近年発見された古代山城長者山城の最高所にも該当する。
山頂部に主郭Iと曲輪IIの二段になった曲輪群がある。そこから南東に伸びた尾根を下ると大きな堀切1、北東に伸びた尾根を下ると堀切2がある。堀切はともに主郭部から離れた位置に設けられているが、その間にも若干加工されたような地形がある。特に南東下は堀切が埋もれたような地形にも見えるが明確ではない。
主郭から南西の長者山に続く尾根には幅弘の鞍部3があり堀切として利用されたと思われるが、自然地形に近く、古代山城の城壁ラインの外側にあたるため、古代山城構築時に切り離されたのではないだろうか。
登山口はいくつかあるが、一番近いのは南東麓の榎ノ山峠のところにある登口。
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