明治元年(1868年)本多正訥によって築かれた。 正訥は駿河国田中藩主であったが、徳川宗家が駿河七十万石に転封になったことにより、安房国長尾に転封になった。しかし、台風による甚大な被害を受けたため、翌3年には鶴ケ谷に陣屋を移し廃城となった。
長尾陣屋は白浜城の西側にある長尾川に面した台地の上に築かれていたという。 長尾陣屋は台地の上に屋敷が点在する形で存在してようであるが、西よりにある南北に長い丘陵部に明瞭な城郭遺構が残っている。この部分は北端に土塁を持つ南北に長い曲輪があり、南北に大きく二段、南端西に一段、南に腰曲輪が確認できる。これが長尾陣屋に由来する遺構かどうかははっきりしない。