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伯耆国府国史跡
鳥取県倉吉市国府山陰道に位置する伯耆国は、延喜式の格付けでは上国・中国である。
伯耆国の国府跡は倉吉市国府(こう)で見つかっている。国庁は八世紀後半頃に造営、十世紀頃まで存在していたと推測されており、近接して官...
伯耆国分寺国史跡
鳥取県倉吉市国分寺伯耆国分寺は現在史跡公園として整備されつつある。伯耆の国分寺と国分尼寺はもとに平安時代中期の天暦2年(948年)に焼失し、以降再建されることはなかったという。
発掘調査によって南大門、金堂、講堂...
伯耆国分尼寺国史跡
鳥取県倉吉市国府伯耆国分尼寺は確定していないが、国分寺の北東に隣接する「法華寺畑遺跡」が有力である。存続期間は国分寺と同じく8世紀中から10世紀頃とされる。
法華寺畑遺跡は約150m四方の規模で、四方に板塀と溝...
因幡国府国史跡
鳥取県鳥取市国府町中郷山陰道に位置する因幡国は、延喜式の格付けでは上国・近国である。
昭和47年から始まった発掘調査によって因幡国庁跡が確認され、建物跡、柵列、井戸、石敷などの遺構が発見された。
現在、因幡国庁跡と...
因幡国分寺
鳥取県鳥取市国府町国分寺因幡国分寺は現在の国分寺集落一帯にあった。国分寺は天正年間(1573年〜1592年)に兵火によって衰退していたものを、鳥取藩池田氏の時代に黄檗宗 最勝山国分寺として再興された。
因幡国分寺は方二...
六尾反射炉町史跡
鳥取県東伯郡北栄町六尾安政4年(1857年)鳥取藩の大庄屋武信家によって造られた。
幕末になると外国船が日本近郊に多く出没するようになり、江戸幕府は各藩に海岸防備を強化するように命じ、これに伴って各藩は台場を築いた。...
因幡国分尼寺
鳥取県鳥取市国府町法花寺因幡国分尼寺は未だ見つかっていない。国分寺のある国分寺集落の東方に法花寺集落があり、この集落付近にあったと推測されている。法花寺集落には、江戸時代に大庄屋福田氏によって近くの田畑から掘り出された礎石が...
山崎家盛の墓(龍徳寺)
鳥取県八頭郡若桜町若桜(龍徳寺)山崎家盛は江戸時代初期の若桜藩初代藩主で、慶長5年(1600年)関ヶ原合戦の後に摂津国三田より三万石で鬼ヶ城主となった人物である。
山崎家盛の墓は龍徳寺の境内墓地にあり、遺髪を祀ったものと伝えら...
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