因幡国分寺いなばこくぶんじ
△トップに戻る
因幡国分寺は現在の国分寺集落一帯にあった。国分寺は天正年間(1573年〜1592年)に兵火によって衰退していたものを、鳥取藩池田氏の時代に黄檗宗 最勝山国分寺として再興された。
因幡国分寺は方二町(約216m四方)の規模であったと伝えられ、現在の国分寺境内には南の水田で見つかった礎石が残っている。発掘調査で塔跡と門跡が見つかっており、細男神社の辺りが金堂跡と推測されている。