安政4年(1857年)鳥取藩の大庄屋武信家によって造られた。
幕末になると外国船が日本近郊に多く出没するようになり、江戸幕府は各藩に海岸防備を強化するように命じ、これに伴って各藩は台場を築いた。
この台場に据える鉄製の大砲を鋳造するために反射炉が造られた。鳥取藩では廻船業を営む武信家が諸費用をほぼ負担して反射炉を作り、ここで鋳造された大砲が由良台場をはじめ、諸藩からの注文も受けていたという。
六尾反射炉は由良川河口の六尾集落に築かれていた。反射炉があった区画の北西隅に案内板が設置されている。