伯耆国分寺ほうきこくぶんじ
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伯耆国分寺は現在史跡公園として整備されつつある。伯耆の国分寺と国分尼寺はもとに平安時代中期の天暦2年(948年)に焼失し、以降再建されることはなかったという。
発掘調査によって南大門、金堂、講堂が南北に連なることは確認されたものの、回廊と中門などは未だはっきりわかっていない。寺の中心となる建物が敷地の西よりにあり、南東の離れた所に七重塔があった。